私の話をします。
ある朝、いつものように子供を起こしに行くと「今日は体調が悪いから休む」の声。「それじゃ学校には連絡しておくね」と声をかけ、様子を見ることに。ところが一週間、一ヶ月とその返事が続き、気がついた頃には立派な不登校に……。
これは私のケースです。といっても、親の方ではなく、子供の方。不登校になった張本人が私です。
似たような状況にお困りではありませんか?
こうなるともう、焦って「学校へ行け」と促してみてもダメ、理由を聞いてもはっきりした返答が返ってこない、八方塞がりのような気がしてきますよね。
相談できる相手も限られますし、よい打開策も見えてきません。
でも、それはお子さんが「不登校になる原因」に目を向けられていないせいかも。「不登校」という状況ではなくお子さんが「不登校になった理由」について、経験者である私と一緒に考えてみませんか?
もくじ
そもそも不登校ってどういう状況?
不登校というのは読んで字のごとく、登校しなくなる状態を指します。
体が不自由になり学校へ行けなくなるケースもありますが、今回は精神的な理由から学校へ行けなくなったケースを扱います。
小学校から大学まで、学校と名のつく場には必ずと言っていいほどついて回る言葉ですが、教師や養育者の間にすら不登校についてちゃんとした知識が広まっていないのが現状です。なぜか?
自分の幼少期を思い返してみてください。
クラスメイトの中に急に姿を見せなくなった生徒はいませんでしたか?
その生徒の名前を言えますか?
その生徒の具体的な性格、好きな食べ物や好きな色は?
その生徒が語った将来の夢や、授業中ひっそりノートに書きなぐっていた内容を答えられますか?
ほとんどの人が無理だと答えるでしょう。ですが、仕方ないのです。
あなたがこれらの質問に答えられるくらい親密な友人としてその生徒のそばにいたなら、その生徒は不登校になっていないでしょう。
仮に学校をやめてしまっていたとしても、あなたが昔、不登校になった生徒と仲良くなれた経験をもっていたなら、自分の子供が不登校になったとしてもいくらか上手に立ち回れているはずだからです。この記事にたどり着いていない可能性が高いです。
つまり今この文章を読んでいる方は基本的に「不登校になった経験がない」「不登校になった人と親密になった経験がない」「学術的に不登校を研究、調査した経験がない」方だと判断して進みます。
なによりはじめに、お子さんの不登校に悩むあなたに伝えなければならないことがあります。
絶対に、「どうして学校へ行けないの」といった類の言葉をお子さんに投げかけないでください。
その言葉は鋭いカッターナイフとなってお子さんの萎んだ心にグサリと突き刺さり、見えない傷をつけ、止まることのない自責を生み出してしまいます。絶対に、言わないようにしてください。
なぜ言ってはいけないのかというのは、不登校の理由を知ることで見えてきます。
不登校の原因・理由ってなんなの?
不登校の理由と聞いて真っ先に思い浮かぶのはなんでしょう。やはりいじめでしょうか。
人間関係に根ざした悩みは学校にはつきものですが、実は不登校になる理由として挙げられるのはなにもいじめだけではありません。
学力的についていけない、校風に合わない、なかには彼女に振られた、彼氏に振られた、先生にいじめられた、部活が嫌だ、などの理由から不登校になる生徒もたくさんいます。
ひとつだけではなく、たくさんの小さな理由が積み重なって限界を迎えてしまうパターンも多く存在します。
不登校のこまかな理由はそれぞれ
私の場合はいくつかの小さな要因が重なって、もう自分ではどうにもできない状況に追い込まれていました。
追い込まれたように見えていた、といったほうが正しいかもしれません。
部活が嫌だ、進学するにもお金がかかる、ろくな就職先がない、校風が合わない・・・。どれも高校生にはありがちな、ごく普通の悩みです。
きっかけは些細なものでした。
高校一年生の終わり頃、私のクラスで英語を担当していた先生はとても熱心で、プライドの高い方でした。いつも他校と自校を比べては、自分の受け持つ生徒たちに失望の眼差しを向ける方でした。
たまたま、私はある英語の課題を提出し忘れ、さらにその先生と面談する予定をすっぽかしてしまいました。
その翌日から、先生はクラス全員の前で私に対して怒涛の如く叱責を繰り返しました。名前は出さず、名字の頭文字をつけて。
「ある生徒、Oさんが課題も出さず予定もすっぽかしてのうのうとこの授業を受けている。腹立たしい。君たちはみんなそうだ。主体性がない子たちだ。責任感もなにもない」
といった言葉を延々繰り返し、私のせいでクラスまで叱責されている状況を見るのは心苦しかったのを覚えています。
たったひとつ、課題の提出を忘れ、先生との予定をすっぽかしたことで、私は高校を不登校になり、結果高校をやめることになりました。
不登校になったとき、親にはさんざん「どうして学校へ行かないの」「将来が」といった話をされましたが、もううんざりなのです。
そんなことは16歳にもなれば自分が一番よくわかっています。
目を向けるべきはお子さんの心理状態
問題は、本人がよく分かっていながら一歩も足を動かせない心理状態にあるのではないでしょうか。
この心理状態に焦点をあて、不登校という結果からは一度距離をおいて自分の心と向き合ってくれる存在が必要なのではないでしょうか。
「学校へ行け」「どうして学校へ行けないの」という言葉は不登校という状態に焦点が向きすぎています。
お子さんの心理としては、どこか空寒いところがあるのではないでしょうか。「自分のことは見てくれないのか」と。
私の場合、「不登校という状態をどうにかしろ」という主張ばかりをぶつけられたために、上記の些細な理由で学校へ行けなくなったことを話せば、取るに足らないことだと思われるのではないか、無理にでも連れて行かれるのではないかという恐怖があり、話せませんでした。
今思えば「家が貧乏だから進学できない、未来がない」「工場に就職だってしたくない」「こんな学校通っていたって意味がない」という絶望を全て話せば親は親身になってくれたのかもしれません。
でも、自分がこんなに思い悩んでいるのに「学校へ行け」としか言わない親の姿をみてしまうと、そんな基本的な信頼すら簡単に崩れてしまうのです。
だから私は代わりに他の理由をでっちあげ、のらりくらり不登校を続け、退学したあとは他の学校へ編入し高校を卒業しましたが、親の望む「高校卒業」という結果を得た今でも当時の日々は忘れられません。
感じたことのない無力感、孤独感に苛まれたことや、生まれて初めて「親は味方ではない」と思った瞬間でもあるからです。
親より子供のほうがいっぱいいっぱい…でも、だからこそ。
「どうして学校へ行けないの」という言葉に込められた、あなたの心配や愛情を受け取れるほどお子さんは余裕を持てていません。
その理由がどんなものであれ、寄り添って対話する姿勢を持ってあげてください。
「別に学校なんて行きたいときに行けばいい、通信制だってあるんだし」と笑い飛ばしてもらえたなら、あなたは今後、親として絶対の信頼を得ることになります。
不登校の原因や理由は、些細なことであるパターンが多いです。でもそれは「親」や「教師」からみた場合。
本人の視点、子供の世界では、世界恐慌やオイルショックなんかよりもずっと重みのあるトピックとして扱われている可能性があります。
それを「取るに足らない」と笑い、「そんな理由で不登校になるな」と叱責された瞬間、すぐに復帰できるはずの軽度な不登校であっても、たちまち人生を左右するレベルの不登校に変容し、あなたは親として得られるはずだった信頼をほんの少し、しかし永遠に失うことになります。
重要なのは、親であるあなたが絶対に慌てたり動揺したそぶりを見せないこと。
内心では心配していてもそれを顕にしてはいけません。ただ、いつもどおりに接して待つことが肝心です。
「そんなことしたら子供がサボりぐせのある人間に育ってしまう」と思われるかもしれません。
でも、そんな心配は必要ありません。不登校はサボりではなく戦略的撤退だからです。
不登校になった本人の中には必ず「自分のやりたいことをしながら、みんなと楽しく幸せに生きていきたい」という根本的な願いがあります。
それがある限り、放っておいても自分からそのように動き出します。
むしろそうした願いがあるにもかかわらず無理に「学校へ行け」と促すことのほうが、自分の本心に背いて生きる「サボり」の時間になるのではないでしょうか。
自分を見つめ直す時間としても、やはり不登校という休息の期間は必要で、あなたがそれを上辺だけであったとしても容認してあげることで、お子さんはようやく自分の内面と向き合う機会を得られます。
そうはいっても心配!不登校の将来はニート?
社会問題となっているNEET、なんの略称かご存知ですか?
Non Education Employee Training の頭文字を取ってNEET。社会に参加せず、孤立した存在を指した言葉です。
お金を稼ぐことも、稼ぐために学ぶことも訓練することもなく、またその意志もない存在ですが、果たして不登校というのはNEETまっしぐらと言えるのでしょうか。
NEETになる方は、なぜNEETになるのでしょう。
私の先生の言葉を借りるなら「主体性、責任感のない人」だと言えるでしょう。自分の将来や今にすら責任を持てず誰かの世話になっている存在。自ら行動することを諦めている人たちだと言えます。
これは心理学的にいう学習性無力感を感じている状態でしょう。著名な心理学者であるセリグマンが提唱した心理状態です。
彼は二匹の犬に電流を浴びせ続け、一匹には回避可能な状況を、もう一匹には回避不可能な状況を作り観察しました。
結果、電流の強さや頻度は同じでありながら、回避不可能な状況に置かれている犬は途中から痛みに耐え、泣くことも跳ぶこともなくなり寝そべったままだったといいます。
これは人間にも当てはまる概念です。現代でいうNEETは、この学習性無力感に苛まれている人々だといえるでしょう。
「学習性無力感に苛まれている犬」が、「NEETの状況下にいる人」。では、電流と回避不可能な状況とはなんでしょう。
不登校に当てはめるなら、学校で感じる「些細な悩みや苦しみ」が「電流」で、悩みを打ち明けることが回避行動となりますが、相談しても「取るに足らない」と受け取られる(かもしれない)状況が「回避不可能な状況」だと考えられますね。
そう考えると、不登校そのものは自分を見つめ直す機会としてむしろポジティブに受け止められる気がしませんか?
むしろ不登校になったお子さんへ何を言うのか、逆に何を言わないのかがNEETになるか否かの分水嶺であるように思えます。
そうはいっても不安なものは不安ですよね。でも、何が不安なのでしょう。私は不登校になり高校を退学したあと、通信制を卒業していますし、更にその後、特待生として短大へ入学するに至っています。
むしろ不登校になったからこそ、自分が本当はどこで何をしたいのか明確に見えるようになりました。
一度不登校になると人生設計がおかしくなってしまうと思いがちですが、それは日本の新卒至上主義が招いた結果です。しかし、第二新卒と言う言葉が流行るなど、いまやそうした幻想は崩れつつあります。
一年や二年遅れたところで、思っていたほどのリスクはない、というのが私の考えです。
視野を広げるためのワーキングホリデーやリゾートバイト、貯金がしたければ期間工、学歴が欲しければ高卒認定を取ってから放送大学進学など、お金をかけずに人生を広げる方法は調べてみればたくさんあります。
「普通」に囚われすぎない生き方をいくつか調べて、認めてあげることで、お子さんのことをもう少しフラットにみてあげられるようになるかもしれません。
まとめ
いかがでしたでしょうか。不登校といえばどうしてもネガティブなイメージがつきまといますが、なにもマイナスなことばかりではありません。
一度はいった会社を辞めて世界を放浪したり、大学を休んでワーキングホリデーにでかけたり、世界では様々な生き方が容認されている中で、日本はちょっと窮屈すぎるのかな、という気がします。
せめてお子さんが思い悩んで学校を休んだことを責めるのではなく、じっくり話を聞いて寄り添う姿勢くらいは持ってあげましょう。
悩みを打ち明けてくれたなら、とるに足らないことだと決めつけないで、お子さんの立場で考えてあげてください。
この記事を読んでいただき、少しでも悩みが軽くなっていれば嬉しいです。ご覧いただきありがとうございました。
コメント